兵庫三菱発信編集局ニュース

フォトグラファーの仕事を通じて学んだこと |LAUT Photo 梶敬子さん|INTERVIEW#4

兵庫三菱Web編集局 | 記事 : M.Tagawa
配信日 : 2019年11月26日 12時30分 JST

こんにちは!兵庫三菱ウェブ編集局のタガワです。兵庫県でご活躍をされている方々をご紹介するインタビュー企画の第4回目、今回はフォトグラファーの梶敬子さん(LAUT Photo)にインタビューをさせて頂きました。

lautphoto-KajiKeiko-01.JPG

梶 敬子さん(LAUT Photo)PROFILE
1996年にLAUT Photo(兵庫県西宮市)を設立されフォトグラファーとして独立。企業依頼や個人依頼の撮影をはじめ、雑誌、ホームページ、プロフィール、お料理、イベントなどジャンル問わず幅広い撮影シーンでご活躍。現在はフォトレッスンも人気で注目を集めています。

そんな梶さんはフォトグラファーとして独立されて20年以上。現在に至るまで、どのようなストーリーを歩んでこられたのでしょうか?インタビュー依頼に快く応じていただけました。 梶さんのオフィスにお邪魔し、明るく笑顔で迎え入れてくださいました。素敵なお部屋の中で、紅茶と可愛らしいお菓子のおもてなし。そんな居心地の良い空間から、和やかな雰囲気のなかインタビューをさせていただきました。

(以下、インタビュー全文)

--- 梶さんはフリーのフォトグラファーとして長くご活躍されています。主にどのようなお写真を撮られているのでしょうか?

(梶さん : 以下「梶」) - お客様のニーズに最大限応えられるように、ジャンルは絞っていないです。現在は撮影をメインのお仕事にしつつ、フォトレッスンも開催しています。

-

--- フォトレッスンを始められたきっかけは?

(梶)知り合いから「フォトレッスンをやって欲しい!」と言われたのがきっかけです。今まで人に何かを教えるということがなかったので、その時はピンと来なかったんですが、ちょうど同じ時期に別の方からも「レッスンはやってないんですか?」と同じような相談をお受けすることがありました。これだけ必要とされるのであればやってみよう!と始めたのが約10年前になります。

フォトグラファーになることへの決意

--- 梶さんがフォトグラファーになるまでのお話をお聞きしたいのですが、フォトグラファーになりたいと思うようになったのはどんな影響があったからでしょうか?

(梶)カメラで撮影を始めたきっかけは親戚のお兄さんからカメラを貰ったことから始まりました。そこから、だんだん写真って面白いなと思うようになって、大学卒業後に企業に勤めてから初めてのボーナスでカメラを買ったんです。そこから2年くらいは趣味で色々な写真を撮っていましたね。その後、勤めていた会社を退職して貯めたお金で1年間サンフランシスコとLAへ留学しました。ずっと海外での生活を経験したかったんです。その時に現地で通った学校で写真のコースをとり、写真を本格的に習い出したのが最初の一歩ですね。

-

--- LAでの学びからフォトグラファーになりたいと思ったのでしょうか

(梶)若い頃から、おぼろげながらも「フォトグラファーとして仕事してみたい」という気持ちはありました。けどまだその頃は「世界の色んな場所に行きたい!!」という気持ちの方が強かったので、LAから帰国後は西宮のアンティークショップに勤務しました。そこでは海外での買い付けのお仕事に携わっていました。その後、アンティークショップは閉店することになったんですが、ショップのオーナーにカメラマンの仕事を探そうと思いますと伝えたところ、スタジオを紹介していただけたんです。そこから自分はカメラマンになるんだなと思いました。

lautphoto-KajiKeiko-02.JPG

アシスタント時代を経て、フリーに。

--- アシスタント期間に、フォトグラファーとしての眼を養われていったんですね

(梶)紹介して頂いたスタジオ2件と他にもう1件の、合計で3年間アシスタントをしていました。一番長くお世話になったのが澤雄司先生です。実際の現場を見てそれはこうするんだなとか、澤先生が撮った写真を見てカッコいい撮り方を学びました。特に澤先生からはフォトグラファーとしての学びはもちろんですが、「女性として、どのようにあれ」との教えをたくさんいただきました。写真の撮り方やノウハウの学びも多かったですが、女性としての在り方を教えていただいた部分の影響はすごく大きいですね。

澤先生に教えていただいたこと

(梶)澤先生は長くニューヨークで活動されていました。日本の女性は外見を綺麗にするけど家を綺麗にしない。だから友人や知り合いをいつ自宅にお招きしても良いように準備しておきなさいとも教えていただきました。例えば、朝も子どものお見送りをしてからママ友と道端で喋るようなことはせず、カジュアルに自宅においでって誘えるようにしておきなさいと。

他にもたくさんお教えいただいたことがあります。ワインオープナーはソムリエナイフで男性に開けてもらいなさいなんてことまで細かく指導されましたね。当時はうるさく言うおじさんだなぁなんて思って聞くこともありましたが、歳を重ねたことで理解できたことがたくさんあります。本当に大事なことをたくさん教わりました。

-

--- 実際にフリーとして仕事を始めてから、澤先生の言葉が活かされているなと感じることはありますか?

(梶)特に空間の中で撮影するときですね。スタジオ撮影では、撮影される側はどうしても緊張してしまう部分があると思います。ですので、リラックスした気持ちになっていただけるような対応を心がけています。それがお客さんにとっては、撮影でいい笑顔を出すことに繋がればいいなと思っています。

こういった場面で、澤先生からの教えが活かされていると感じることが多いですね。「お客さんにとって居心地のよい空間への迎え入れ方」という部分です。お迎えをする場所が自宅であろうがスタジオであろうが同じなので。澤先生から教えていただいたことは今の私にとって財産となっています。

-

--- アシスタント時代を経て、どのようなタイミングで独立されたのでしょうか?

(梶)澤先生から「3年以上アシスタントをするな」と初めに言われたんです。理由は、その人にとって一番扱いやすい「アシスタントのプロ」になってしまうからです。

その後、アシスタントを始めて3年くらいたった頃、私自身に撮影の依頼があったんです。自分の作品作りの際には澤先生に機材をお借りしていたので、いつものように相談にいきました。「自分の作品づくり?」と聞かれましたので「初めてお客様からお仕事をいただいたんですよ」と伝えたところ「1円でも自分でお金を稼ぐようになったら僕の機材は絶対に使ったらだめだ。」と。そこで初めて自分で撮影用の機材を揃えたんです。その時に「これ、真剣にやらないと」と焦りました。それが独立への第一歩でした。

lautphoto-KajiKeiko-03.JPG

フォトグラファーの期間を振り返って。そして今後の目標。

--- これまでのお仕事のなかで、記憶に強く残っている出来事はありますか?

(梶)今から5年ほど前に、フォトレッスンを東京で開催することになったんです。その時の生徒さんから「もしかして、昔こんな写真撮ってくださいました?」と、スマホのアルバムから写真を見せていただきました。

「あ、わたしが撮った写真です!」

「あのときの花嫁です!」

その方がカメラマンだった私の名前を覚えていてくれた偶然と、私もあの時のその一枚のシーンを覚えていて、偶然の再会だったんです。長くやっていたらこんなこともあるんだなと。お互いにすごく感激した出来事でした。

-

--- とってもいいお話ですね...!年月を経て、一枚の写真で繋がったということが素敵ですね。最後に、梶さん自身の今後の目標があれば教えていただけますでしょうか

(梶)いま、女性のフォトグラファーの方々に使いやすいようなカメラバックを作ってるんです。今年ようやく形になってできたので、広くみなさんに届けられたらいいなと思っています。それが今の目標です。

今では女性のフォトグラファーもたくさんいらっしゃると思いますが、カメラバックって女性向けでかわいくて使いやすいものが探してもなかなかないんですよ。じゃあ自分で作ってしまおうと。私のことやLAUT Photoを知らない人でも、いつか、ここのカメラバックってすごいいいよねっていってもらえるようになりたいです。何年もフォトグラファーとしてやってきたからこそ、それを活かしながら周りの人に役立つことを進んでやっていきたいですし、それを仕事として続けていきたいと思っています。

-

今後、梶さんが展開するカメラバッグ、本当に楽しみです!本日はありがとうございました!!

(インタビューここまで)

インタビューを終えて

ジャンル問わず撮影していらっしゃる梶さんですが、いい表情を撮るフォトグラファーとしても評価されているのは、澤さんから学んだ「居心地の良い迎え方」の意識が今でも根付いているからだと分かりました。また、おもてなしとなるとつい頑張りすぎて、かしこまった雰囲気になってしまいがちですが、自分の生活スタイルを保ちながら「ちょうどいいライン」のおもてなしこそが、お客さんにとって居心地がよく、それこそがスマートであるということを学ばせていただき、わたしも是非実践してみたいと思いました。
ふとインタビューを忘れてしまう瞬間もあるほどリラックスした居心地、そして笑いあっての楽しいお時間はあっという間で、梶さんのフォトグラファーの顔だけでない、人としての魅力にも気づかされた時間でした。

︿